歴史あるペローニの醸造所 -そのスタイルと発展-

本物であり、他とは一線を画すこと。ペローニ・ナストロ・アズーロにおいて、イタリアのスタイルの美しさを実現するにはこれらの要素が欠かせないと私たちは考えています。私たちの着こなしや食生活、世界のファッション界におけるイタリアの象徴、アート、デザイン、映画の数々に私たちのこうした信念が表れています。フィレンツェにそびえるドゥオーモからベネチアの魅力あふれる運河に至るまで、イタリアの都市の姿にもそれは表れています。こうした都市の中でもひときわ輝いているのが、歴史と活気をあわせ持つ都市であり、私たちの最初のブルワリーのひとつが存在するローマです。この歴史あるブルワリーがローマという都市を構成する重要な役割を担ってきたことは、私たちにとって喜ばしいことであり、私たちの心のふるさとにまつわるストーリーを紹介できることを誇りに思います。このブルワリー設立の経緯、ブルワリーの設計者、ブルワリーが今日の姿に変化するまでの道のりをご覧ください。

ローマに最初に建てられたブルワリーは、ペローニ社初のブルワリーではありませんでした。ペローニ社は1846年、フランチェスコ・ペローニによってロンバルディア州にあるヴィジェーヴァノという静かな町で設立され、初の製法が開発されました。この新しく、美味しいビールの評判が急速に広まったことから、1864年には会社を拡張しなければならなくなりました。そして、ペローニ社の新たな地としてうってつけだったのが、首都であるローマだったのです。新たなブルワリーが建設され、数年後、ペローニの本社は正式にローマに移転しました。

このブルワリーの建物は、当時高い評判を得ていたローマの建築家グスタボ・ジョバンニが設計を担当しました。エンジニアであり建築家、批評家、都市設計家でもあったジョバンニは、イタリア建築の歴史に造詣が深いことから建築家たちの尊敬を集めていました。周辺の環境に配慮した人間味あふれる空間設計という先進的な発想と、このジョバンニの知識はペローニ社のブルワリーの建造物にも影響を与えました。

ブルワリーの建築は、当時盛んだったアールヌーボーのスタイルを踏襲していました。アールヌーボーはイギリスとフランスに始まり、欧州全土へと広がった様式です。曲線が多用され、古典芸術ならびに自然の形体から影響を受けたこの様式は、ローマの新たな可能性に大胆に目を向けながらも、歴史あるローマの優美なバロック様式およびルネッサンス様式の建築を補完するというもので、ペローニ社の醸造に対するアプローチと一致していました。同時代の建築家の多くが新古典主義(古代建築の影響を受けた建築スタイル)に心を奪われているなか、グスタボ・ジョバンニは、現代性を備えつつ、みずからが敬愛する歴史的建築物に対して独自の工夫を加えた建築群を完成させることを決意したのです。

その後100年の間、ローマの体制と建築は進化を続けました。1922年から1943年まで続いたファシスト政権により、古代ローマの建築物に大きく影響された建築様式が開発されましたが、その後の数十年間では、もっと自由で魅惑的、かつ近代的なアプローチが重視されました。特に、女優モニカ・ヴィッティや映画「甘い生活」が人気を博し、イタリアンスタイルが世界的に認知されるようになった1960年は実り多き時代で、イタリアの創造性と産業界の出会いによって、双方が経済面で活況を呈するようになりました。

時代が移り変わると同時に、ペローニ ナストロ アズーロの拠点も変化します。人気の高まりに応じてローマ、バリ、パドヴァにはより近代的なブルワリーが建設され、2002年、ペローニ社が持つローマ初のブルワリーはローマ現代アート美術館として生まれ変わりました。旧ブルワリーのスタイルをさらに発展させた、新しい建物群の中に建つ、近代的で広々としたこの美術館には、1960年代から現代までのイタリア芸術のすばらしい作品が収蔵されています。この美術館は、ペローニ・ナストロ・アズーロの新たな心のふるさととしての役割を担うのにふさわしい場所だといえるでしょう。